
私が金融教育に懸ける想い
今年に入り、日々金融に関わるニュースや私が学んできたことを毎日記事にして発信してきたコラムですが、本日で100回目の投稿となりました。
毎日投稿することを目標に日々がむしゃらに取り組んできましたが、ここまで続けられてこられたのは日々読んでくださっている方々のおかげです。
中には毎日反応をしてくださる方がいたり、直接お会いしたときに「いつも記事読んでるよ」と言っていただけることが何よりも嬉しく励みになっています。
しかし、そもそも私がなぜ金融を伝えているのか。
本日は、私の生い立ちと、この活動をする理由と目的をお伝えできたらと思います。
※本日の記事は長文です。また、少々話の内容が暗い部分があります。
◼️貧しかった家庭環境、兄の死から考えたこと
私は埼玉県の田舎町で生まれ育ちました。
生まれたときから今でも実家は築数十年のぼろぼろのアパート。私は6人家族の末っ子として、決してお金に余裕のない環境で育ちました。
父は機嫌が悪くなると家族に当たることがよくあり、どちらかというと威圧的な父でした。
そんな父は、私が中学3年生の時に病気で亡くなりました。そこから私は、女手一つで育てられることになりました。
すると今度は、障害をもっていた兄が父がいなくなったことを機に暴走をはじめ、他人に迷惑をかけたり家族を困らせるようになりました。
時には住まいを追い出されそうになることもあり、いつ自分の家がなくなるかもしれない、不安な日々を過ごしました。
賠償などの費用もかさみ、家の貯金はみるみる減っていきました。母はパート勤務で収入も少なく、貯金残高が底を尽きるのは時間の問題。母が自分の老後の対策を取ることなんてまったくできません。
私が高校に入学した時には「高校を卒業したら働いて母を養わなければいけない」と思っていました。
しかし、高校2年生の時に、とあるきっかけで大学に進学することを決めました。
ですが、大学の進学費を親に頼ることなどできるはずもなく、高校時代から貯めていたアルバイト代を入学金等の費用に充て、在学中の学費は奨学金とこれからアルバイトで稼ぐお金で賄うことで大学に通いました。
大学には、当然ながらご両親に授業料を払ってもらい本人はなんの負担もなく大学に通って、社会人になっても奨学金の返済がない方も多くいます。
これは今でもそうですが、そういう方を見ると羨ましいような、複雑な想いを抱くことがあります。
大学に通いながらアルバイトでお金を稼ぎ、授業料を賄う学生生活を過ごし、卒業後は信用金庫に勤めました。
当時から「人のお金の相談にのりたい」という気持ちがあり、信用金庫に勤めればそのようなことができると思っていましたが、私が思うものとは違っていました。
「私がやりたかった金融とは何か違う」そして「自分の将来の家族と、自分の親と障害をもっている兄を養うためには普通に働いているだけではとてもお金が足りない」と思っているときに、とあるマネースクールに出会いました。
私はそこで、人生で初めて何十万というお金を自己投資に充てました。このことは、今でも本当に良かったと思っています。
ここで私は初めて、保険、社会保障、投資、税金、ライフプラン等、金融というジャンルをトータルで見ることができました。また、海外の金融にも触れることで「金融の本質を知ることで人生を豊かにできる」ということを知りました。
そうして金融を学び初めて数ヶ月経ったときに、障害をもっていない兄が亡くなりました。
それは、通常ではありえない、とても悲しい亡くなり方でした。
思えば、この出来事の数ヶ月前に兄がSOSを出していたことがありましたが、私と母はそのSOSに気づいてはいたものの、お金がなく環境を変えることができず、結果兄を救うことはできませんでした。
こういった過去から、私は
「お金がないことで感じる惨めな気持ち」
「お金があれば人生の選択肢は大きく増やすことができる。逆にお金がないと人生の選択肢がすごく狭まってしまうこと」
「お金がないと大切なものを守ることができない。逆にお金があれば大切なものを守ることができるし、人を助けることだってできる」
ということを体感しました。
ここまでの出来事では、私は「お金があれば大切なものを守ることができるし、人生を豊かにすることができる」と思ってきました。
しかし、そのマネースクールの社長のある一言で大きく考えを変えさせられました。
その発言は、「お金はあるけど幸せじゃない」というもの。
その方はかなりの実業家で、何億という資産を持っていらっしゃる方でした。
経済的には誰もが羨むほど豊かなのに、それでも幸せを感じないというのです。
こういった一連の出来事から、「お金とはなんだろう」「人生を豊かにするとはどういうことだろう」と深く考えるようになりました。
◼️「金融」はその人の一生を左右するもの
そんなことを考えている中で、私は一人の女性と出会いました。
その女性は、もともとなんとなくお金に興味はもっていたけれど具体的にどうしたらいいかわからない、という方でした。
そこで私は、今まで学んだ金融の知識をつかって彼女の保険の見直しから始めました。
すると、無駄な部分を削り、必要な保障を手厚くしたことで月々の保険料が11,000円から4,000円に下げることができ、かつ保障内容はより充実させることができました。
今では、その浮いた分のお金も使って将来のために資産形成にも取り組み始めました。
このことだけでも、保険料の削減分と優れた投資商品にお金を預けるだけで、生涯で数千万円分も彼女のお金の結果を変えることができました。
この一件から思ったことは、「金融は、誰から聞いて何を信じるかによって、その人の一生を左右するくらい結果が変わる」ということです。
たとえば、同じ日本の株式に投資する投資信託であっても、ある商品は10年で資産が何倍にもなったものもあれば、ある商品は10年経ってもまったく増えないものもあります。
また、保険に関してもちょっとした知識を使うだけで一生涯で見ると1千万円単位で結果が変わってきます。
日本では「金融教育」というものが学校でされないために、多くの方は金融(お金のこと)をわからないまま大人になる。そうした大人たちが子供を育てているのだから、家庭でも金融教育は行われることがなく、いつまでたっても日本人の金融リテラシーは向上しません。
私たち消費者が積極的にお金について学び、賢くならない限りは、銀行や保険会社をはじめとする金融業者に騙されてしまい、その結果、大きく損をしてしまうでしょう。
正しい金融を学び、良い商品と悪い商品を区別できる知識(金融リテラシー)を身につけることが何よりも大切です。
◼️金融はあくまでもツール。私が本当に目指すもの
上記のようなエピソードから、私は人生をより豊かにするうえで金融、お金の知識は欠かせないと思います。
しかし、その一方でお金があっても幸せになれないということもあります。「物心共に満たされる」ことが人の幸せに繋がるのかもしれません。
では、「心が満たされる」とはなにか。
人によって答えは違いますが、私は「時間やお金など、何事にも縛られず自分のやりたいことを自由にやること」によって幸せを見出だせると思っています。
たとえば、私も含めですが「お金(生活)のために」という理由で仕事をしている方は多いと思います。
しかし、それでいて仕事を楽しめたりやりがいを見出だせている場合は良いかもしれませんが、好きでもない仕事を仕方なく続けているという方は多いと思います。
しかし、それではせっかく一度きりの人生、豊かになれるでしょうか?
私はなれないと思います。
そのためには、まず第一に経済的な縛りを無くすことが必要です。その縛りさえなくなれば、生活のためのお金を気にすることなく自分の好きな仕事をすることができます。そのためには金融、お金の知識は必ず必要です。
私が本当に目指すものは、
「時間的にも経済的にも縛られず、自分の人生を自由に生きること。そして、それが実現できる仲間を増やし、周りの人も豊かになること」
その理想を実現するためのツールとして金融があり、私のようにお金のことで惨めな想いをしたり人生の選択肢を狭めてしまう人を一人でも少なくしたい。
大切な人を守るために金融を学び伝えたいし、大切な人を守れる人を増やしていく。
そして何より、人の一生を左右してしまいかねない金融を伝えることで、より多くの方がより豊かな人生を過ごすためのきっかけを与えていきたい。
そういった想いから、私は日々金融を伝える活動をしています。
※大変長い長文になってしまいましたが、最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。